青汁考察

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青汁の名前の由来

青汁という名前は戦前に命名されましたが、その原点を探ってみると、青汁と同様の飲み物として「擣汁」、「杵汁」という名前の植物の汁が飲まれていたことが平安時代に発刊された日本最古の医学書である「医心方」に記載されています。
この汁はその薬効成分から煎じ薬又は患部に直接あてる貼り薬として、貴族から一般平民の間で広く使われていたと言われています。

また、この医学書がすべて漢文で記述されていることから、日本の平安時代以前には中国でもすでにこのような野菜の汁が漢方薬のように使用されていたことが推測されています。
世界最古の文明であるメソポタミア文明には、粘土の板に200種類以上の植物性の薬の名前は刻まれていたことも判明しており、エジプト文明にもパピルスにオリーブ・アロエを医術として使用したことが記載されています。
このように人間の歴史の中では、薬草としての植物の健康価値は古くから認知されていたことになります。

今でも、犬・猫などの動物が体調を整えるために植物である草木を食べるように、原始の時代から動物が生きてこられたのも食物のエキスのおかげであると言っても過言ではありません。
このように、青汁の原点になる飲み物は充分にその下地が歴史の中に息づいていたといえます。

日本ではどのように青汁という名前が生まれて浸透していったのでしょうか。
名前が付けられたのは終戦直前にあたる1943年であり、当時の大阪女子医学専門学校(現在の関西医科大学)の教授である遠藤二郎先生がさつまいもの葉・大根の葉・野草を使ってその汁を作り、その汁のことを遠藤先生の奥さんである遠藤ヒナ子さんによって「青汁」と名付けられました。
これが青汁の誕生のときです。
昔から野菜のことを「青物」という名前で呼んでいたことから「青」を使用したとのことです。
よく話題になるのは、緑色の汁をしているなぜ「青」を使うのかという疑問ですが、古代より緑という言葉は使われていましたが、色として意味合いではなく、草木の芽が出る新鮮な風情(例:新緑の季節)とか水の多い状態をあらわしていました。
その時代には色として赤・青・白・黒の4つの言葉しかなかったのです。
そのため、緑色の野菜などは「青物」として表現されていたわけです。

また、青汁の命名時には、遠藤先生は「あおしる」というように濁らずに呼んでいましたが、その後、奥さんのヒナ子も含めて周りの人たちから「あおじる」という濁った呼び方をし始めて、その呼び方が現在まで浸透してきました。
1945年に遠藤先生が倉敷中央病院に赴任して、青汁は病院食として患者さんの栄養補給のために使われはじめました。
1952年には遠藤先生がケールを使用した青汁を発案してから小学校で試験的に給食に使い始め、4年後には小学校にて青汁給食が開始されました。
ケールを使用した青汁は商品化されて販売されるようになりますが、戦後からの食料不足という時代背景の中で野菜・ビタミン・ミネラル不足を補うために青汁を飲むことが健康に良いという効能が注目されてから、青汁は西日本を中心に急速に普及することになります。
遠藤先生は1997年に97歳にて逝去するまで、生涯に渡り倉敷のご自宅の庭にある無農薬菜園にて青汁つくりに励んでいたということです。

その後、青汁の認知度をさらに上げたのは、テレビCMにて悪役俳優である八名信夫さんが青汁を飲んで、「まずーい!!もう一杯!」というキャッチフレーズが流れてからです。
まさしく、青汁の地位が確定したのはこのときです。
しかし、このCMには裏話がありました。
当初、強面の悪人役の八名さんに「こいつは悪人にも良いぜ」というセリフを言わせることになっていましたが、八名さんが青汁を飲んだ時にあまりのまずさにこのセリフを言えずに、アドリブで変更したあの名セリフを販売会社の社長に使うように懇願して了承されてテレビで流れ、まさしくこの有名なセリフが青汁の代名詞となったのです。
言い換えれば、八名さんも青汁の第二の名前づけ親とも言ってもよいでしょう。

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